’13博多祇園山笠

〜福岡県福岡市博多〜

櫛田神社

 
14年前になりますか博多に行く機会があり祭り好きな私。櫛田神社に行き
飾り山笠が展示されて、舁き山笠のミニチュアや資料などを見て動いている
山を見たいと思っていました。

今年、思い切って14、15日に行って来ました。

7月1日の「当番町お汐井取り」から7月15日の「追い山笠」までの長〜い
祭りです。
14日は飾り山笠が展示されている場所を何ケ所か廻り夕方から舁き山笠の
「流舁き」を見ました。
15日はいよいよ「追い山笠」、午前3時半に起きて行きましたが凄い人で
予定していた場所に着く前に交通規制になり行けませんでした。
5キロのコースでタイムを競うのですが30分前後で到着してしまいます。

午前4時59分、大太鼓の音で一番山笠が櫛田入りし、5分間隔で次々と
櫛田入りして5キロ先のゴール「廻り止」まで激走します。
6時過ぎに「廻り止」に私も到着しましたが終わっていました。




画像をアルバムにしましたのでご覧下さい。

アルバム1

アルバム2

ブログでUPしました














































舁く 舁き棒 舁き手

魚吹では屋台を「かく」と言いますが「担く」の表記では違うように思われます。
「かき棒も」「担棒」「担き棒」でも伝わりますが私は「舁く」「舁き棒」と表記
しています。

今回の博多祇園山笠見学ににあたり調べてみるとこんな記述がありました。

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山笠を担ぐ事。
一般的なお祭りでは『神輿を担ぐ』と言うが、博多では「山笠を担ぐ」とは言わない
「山笠を舁く」と表現する。
現代人には「舁く」という言葉は馴染みがないが、同じ肩でも背中全体で担ぐ時は『舁く』
が使われる。山笠は重いため、男達は縄を棒に掛けて少し前屈みになって支えるため『舁く
』と呼ばれている。
なお江戸時代によく登場する『駕籠をかく』もこの『舁く』が使われる。

山を接地させないように舁く山笠であるが、一度だけ各地に伝わる山車のように山台に車を
つけようとしたことがある、という史料が残っている。
史料によると、江戸時代中期の明和8年(1772年)に山笠台に車を取り付けて繰り出したが
、所々で家の庇(ひさし)を崩し、怪我人も出てしまったため、外したと記されている。
これ以降そのような記述がない事から、やはり山笠は『舁く』ものであるという事になったよ
うである。

私のHPでも表記します。
(C)Art.Kaede











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